三浦半島海岸通り

走水海岸



馬堀海岸を走り終わると道はゆるい上り坂になり旗山崎に向かって行く。

右手からは山が迫り平地が極端に少ない三浦半島を象徴するような景色である。左手は横須賀市水道局走水水源地管理センターというとても長い名前の施設がある。


横須賀市水道局走水水源地管理センターの駐車場。駐車場の少ない走水海岸では海水浴や潮干狩りのお客さんも利用できる。走水の湧き水は非常に良質で知られ現在も横須賀市の水道に使われている。
横須賀市はこの走水の湧き水を 「よこすか名水走水湧水」 としてペットボトル販売している。海側には沖堤への架け橋が見える。


この芝生も利用すればもう数十台置けるのではとケチな事を考えたりもした。

走水の水源群


走水には上下水道局が管理する水源が4箇所あり、これらの水源を総称して、走水水源地と呼んでいます。各水源からは、合計日量約2,000立方メートルが湧き出ています。
水源や施設の多くは、明治時代に海軍によって開発された軍港水道でした。本市は、明示41年(1908)覚栄寺裏山水源に貯水池を造り、市営水道として給水を開始しました。昭和29年(1954)、すべての水源は、旧軍港都市転換法(軍転法)に基づき本市に移管されました。
水源の大部分を遠く相模川や酒匂川に頼っている本市にとって、走水水源地は、市内唯一の貴重な水源です。
また、関東大震災でも湧水が枯れることなく湧き続けた走水水源地は、災害時等の緊急時の応急給水拠点としての機能を備えています。

●伊勢町水源(走水一丁目)日量約1,790立方メートル
フランス人技師ヴェルニーが計画し、明治9年(1876年)、横須賀造船所の用水として利用を開始した水源です。
明治35年(1902年)、海軍により煉瓦造貯水池(国登録有形文化財)が造られました。さらに、各水源からの湧水を一箇所に集めて送水するために、明治41年(1908年)鉄筋コンクリート造浄水池(国登録有形文化財)が造られました。
貯水池と浄水池は、現在も使われています。
●覚栄寺裏山水源(走水2丁目)日量約50立方メートル
明治28年(1895年)、海軍により貯水池が造られた水源です。
明治41年、本市が隣接地に貯水池を造り、同年12月25日に下町地区に給水を開始した市営水道最初の水源です。
●中町水源(走水2丁目)日量約110立方メートル
明治38年(1905年)、民間企業により貯水池が造られた水源です。
●破崎水源(走水1丁目)日量約50立方メートル
明治41年、海軍により集水壁及び護岸石垣が造られた海に面した水源です。

各水源は、重要な水道施設です。一般の方の立入りは禁止されています。
横須賀市上下水道局

ヴェルニーの水として駐車場の隅に3つの蛇口を持つ水場が設置してある。
上部にはペットボトル販売のチラシが貼ってあった。
何人もの人たちがビンを持って水を汲みに来ていた。

横須賀水道発祥の水 ~ヴェルニーの水~


由来
この水は、走水の湧水を利用した水道水です。フランス人フランソワ・レオンス・ヴェルニー(Francois Leonce Verny)が、明治9年(1876年)横須賀造船所の用水として送水しました。
また、明治41年(1908年)12月、市営水道として、小川町、大滝町、若松町の人達に給水されました、
給水開始100周年を記念して、ご利用いただけるようになりました。
横須賀市上下水道局
竣工 平成20年(2008年)3月

水道水源地


昭和52年市制施行70周年記念
横須賀風物百選
水道水源地
ここ走水一帯は、昔から地下水の豊富なところとして知られ、明治初年頃、水おけで飲み水を市民に売り歩く商売がありましたが、その水は、この走水地内仲町のわき水を船で運んだものだといいます。
現在地の水源を発見し、市内で最初の水道を実現したのは、横須賀製鉄所や観音崎灯台の建設に功績を残したフランス人技師、フランソワ・レオンス・ヴェルニーです。
明治7年5月27日、この水源から横須賀造船所(現米軍基地内)までの約70キロメートルの水道工事に着手しました。内径約12.5センチメートル、長さ1メートルの土管をつなぎ合わせて埋設し、土地の高低差を利用して水を送る自然流下方式で、明治9年12月に完成しました。その後、水道管は土管から鋳鉄管に変わり、内径も20センチメートルになりました。さらに明治34年から35年にかけて内径約25センチメートルの水道管が敷設され、動力ポンプによる送水方式となりました。それまでの水道は軍需用でしたので、市民の水道を敷設するため不要となった水道管すべての払い下げを受け、走水の覚栄寺裏山のわき水を水源として、大滝、若松、小川の三町に送水を開始ましました。市制施行1年10ヶ月を経た明治41年12月25日のことです。使用戸数は332戸と記録されています。
この水源からは、現在も一日二千立方メートルの良質な地下水を供給している市内唯一の水源地であり、災害時には応急給水の拠点となります。
水水源地管理センター道路側のたて看板より


沖の堤防に架かる架け橋。沖堤はコの字型になっていて沖からの波を受けにくくしてある。堤防ではなく橋にしたのは、海水浴と潮干狩りで親しまれている走水海岸の潮の流れを止めないためと想像される。突堤で潮の流れを止めてしまえば水質も悪化して、砂浜はあっという間に変貌して、その後どうなるか想像もつかない。


後ろを見れば小さな走水海岸が眼下に望めた。山が海岸にまで迫っていて本当に狭い。海水浴にしても潮干狩りにしても家族風呂のような雰囲気でそれなりに悪くは無いのかもしれない。

東京湾眺望 夕日の富士


JR横須賀駅から大津・観音崎へ続く約10kmの海辺のみちを「うみかぜの路」といいます。
大津は東京湾の眺望が特に素晴らしい所で、東京湾唯一の自然島・猿島や要塞の島・第一、第二海堡を望み、横浜のランドマークタワーやベイブリッジ、アクアラインや房総半島の山々、街などを一望することができます。
馬堀海岸の緑陰道路では、フェニックスやワシントンヤシが三列に並び、国内初の面的防護による高潮対策の護岸があります。
観音崎ボードウォークでは東京湾を行き交う世界の船舶が間近に見られます。
晴れた日は富士山を望み、春秋には山頂に夕日が沈む「ダイヤモンド富士」 を見ることができます。
大津行政センター市民協働事業・大津深訪くらぶ


走水小学校バス停。このあたりはずっと高台を走っている。


歩道部分が車道と分かれて下に分かれている場所に走水小学校への入口があった。走水小学校は崖下にあって狭い場所に校舎と運動場が寄り添っているように見えた。


先ほど走ってきた馬堀海岸から見た走水小学校。長い竿なら校舎からも釣りができそうな立地である。廃校になる事でもあれば、すぐにどこかのホテルが買い取りに乗り出しそうな絶好の立地と思われた。手前は走水海岸の沖堤と渡り橋。



三浦半島海岸通り
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