三景園から根岸へ


しばらくは首都高速湾岸線の高架下を走ることになる。

高架下は夏は涼しい天国の道で冬は凍てつく地獄の街道となる。サイクリングには走りやすい整備された道だ。


首都高速湾岸線は三渓園を回り込むように走っている。道の向こうに見える公園の先が三渓園。三溪園は明治の実業家 原三溪によって造られた庭園で、重要文化財10棟を含む多くの建造物が庭園内に配置されている。春の梅、桜、秋の紅葉など季節ごとに姿を変える庭園の魅力は、原三渓と同じように今も人々を引き付けている。


間門の交差点からは首都高速湾岸線とは少しはなれて平行して走ることになる。すぐに根岸線が合流してくるので鉄橋下をくぐると、ここからは根岸線とも平行して走る。このあたりはサイクリングロードも色分けされて歩道とは分離されているので走りやすい。


JR根岸線の名前のもとである根岸駅前交差点を過ぎると西町歩道橋がある。左に根岸中学校、右に根岸小学校があるのでこの広さの道路では信号よりも安心なのだろう。



八幡橋の手前に橋の手前一帯が飛行場であったという解説板が立っていた。

根岸飛行場跡


昭和15年(1940)この埋立地に大日本航空株式会社により日本初の飛行艇専用民間飛行場がつくられました。南洋諸島パラオ島への定期航空路が開設されたのです。川西航空機製の97式という大型飛行艇が15年3月6日に根岸湾からサイパン経由パラオに向け飛び立ちました。
発動機4基、翼長40メートル、「綾波」「磯波」「黒潮」「白雲」など海や空にちなんだ愛称の優美な巨人機で、サイパンまで10時間、パラオまではさらに7時間かかりました。客席は18あり運賃はサイパンまで235円で東京・大阪間の7倍でした。戦時中は人員と機材すべてが海軍に徴用され南方の島々との連絡や人員・物資の輸送の任務にあたりました。
昭和17年には世界最優秀機の名も高い2式大艇が登場しましたが、全備重量24.5トンの日本最大の新鋭機で乗員以外に26~64人も収容でき、離着陸時には家々の屋根をかすめて轟音を轟かせました。
97式大艇の最終飛行は終戦後昭和20年(1945)9月の台湾向け紙幣の輸送で、2式大艇は同じ年11月にアメリカへ試験機として引き渡すため香川県の託間基地からここに飛来したのが最後です。
根岸には飛行艇の乗員や航空関係者が大勢下宿し子供たちに南方の珍しい果物の味を運んでくれました。鳳町の名は巨大な翼にちなみ未来に羽ばたくようにという意味でつけられたそうです。
磯子区根岸地区連合町内会
横浜磯子ライオンズクラブ 
磯子区郷土研究ネットワーク
上の案内図の地図部分だけを拡大してみよう。

この地図によると私立根岸中学校を含む一体が飛行場だったと言う事だ。JR根岸線や首都高速湾岸線も飛行場の跡地の上に敷設したことになる。
敷地は2万坪とあるので6.6万平方メートルだから200mと330mの長方形位。地図の形もそんなものだろう。もちろん飛行艇なので滑走路があるわけではなく海上から飛び立つわけである。


掘割川に架かる八幡橋を渡る。昭和3年3月竣功の古い橋だがメンテナンスは万全のようだ。八幡橋を渡った所からは道は横須賀街道となる。


八幡橋からふと掘割川を見下ろすとハゼ釣りをしている人達の姿が見えた。今年は気候のせいでハゼが小さいらしい。