葉山しおさい公園


三浦郡葉山町(はやままち)は三浦郡の唯一の町で三浦郡には葉山町の他には町も村も無い。

長者ヶ崎を葉山側から見てみると切り立った断崖の先に草木も生えた低い磯場が続いている。柵があって長者ヶ崎の磯場には入れない。手前の海岸は長者ヶ崎海水浴場で夏季は海水浴客でにぎわう。シーズンオフも観光客が多いので人の途絶える事は無い。沢山の手漕ぎボートが砂浜に並んでいた。


長者ヶ崎の駐車場越しに一色海岸方面を眺める。手前の堤防は黒島の堤防と呼ばれる小突堤。一帯の磯はトンビ磯と呼ばれている。その先には一色海岸と小磯。その先の建物は芝崎のマンション群。


心臓病治療の専門病院である葉山ハートセンター。生命に基本のところの病を直す病院なので近くにあると心強い。


下山川に架かる下山橋。下山川を挟んだ海岸側一帯は葉山御用邸になっていて皇族方が居られないときも常に警察が常駐している。下山橋の先が葉山御用邸前の交差点で国道134号線は内陸に迂回する。海沿いに県道207号線が通っているのでそちらに進む。



「葉山しおさい公園」 の中には「しおさい公園博物館」 があって葉山の海などで採取された標本や昭和天皇御下賜標本も展示してある。公園への入園料を払うと博物館へは自由に入館出来る。

大正天皇崩御・昭和天皇皇位継承の地


葉山町指定史跡 大正天皇崩御・昭和天皇皇位継承の地
指定 昭和61年4月29日指定第38号
所在地 葉山町一色2123の1

葉山御用邸付属邸の歴史

この葉山しおさい公園は葉山御用邸付属邸の跡地で昭和62年(1987年)6月3日開園し面積は18,009.28平方メートル(約5,500坪)ある。ここはもと岩倉具定侯爵・金子堅太郎伯爵・井上穀子爵の各別荘を、大正6年(1917年)7月にkお買い上げになり、澄宮(現三笠宮)邸として大正8年(1919年)6月に竣工されたのものである。

「大正天皇」崩御

大正天皇は葉山御用邸をこよなく愛され最後の行幸は大正15年(1926年)8月10日付属邸で御病気ご療養のためであった。当時、たまたま本邸が関東大震災で損傷し、再建中であったため付属邸へ入れられた。陛下には以来同邸においてご療養につとめられたが、同年12月25日、午前1時25分、遂に崩御(逝去)されたのである。時に御年48歳であった。

「昭和天皇」皇位継承

大正天皇が崩御(逝去)され、悲しみの中旧皇室典範第十条の定めに従って、皇太子殿下(後の昭和天皇)は直ちに葉山御用邸において天皇の位におつきになられた。
新天皇陛下は、まず登極令(とうぎょくれい)(旧皇室令)第一条によって践祚(せんそ)(皇位を受け継ぐこと)の式を行うため剣璽渡御(けんじとぎょ)の儀が12月25日午前3時15分より葉山御用邸付属部において執り行われた。また宮城(皇居)賢所(かしこどころ)において践祚(せんそ)の儀式が同じ時刻に行われた。
第124代の宝祚(ほうそ)(皇位)をつがれた新天皇陛下は徳川侍従長奈良侍従武官長、一木宮相以下を従え伊藤式部長官のご先導により静かに東京に向かわれた。
時に御年26歳尚、付属における剣璽渡御(けんじとぎょ)の儀式は皇族、政府関係者列席のもと厳かに行われた。
儀式における各役割は宝剣を捧持するもの、原侍従。神璽を捧持するもの松浦侍従。御璽国璽(ぎょじこくじ)を捧持するもの、松井内務大臣秘書官がその任に当たった。
践祚の行われた部屋は昭和56年(1981年)11月再建された御用邸の中へ移設されている。

平成6年3月27日 葉山町・葉山町教育委員会
葉山しおさい公園前の解説板より

開園時間


開園時間 午前9時から午後4時50分まで(但し入園は午後4時まで)
休園日 1.月曜日 2.国民の祝日の翌日 3.年末年始(12月28日から1月3日まで)
入園料 一般 大人300円 小人150円 団体 大人250円(20人以上) 小人100円
葉山しおさい公園
葉山しおさい公園前の解説板より


葉山町指定史跡 大正天皇崩御・昭和天皇皇位継承の地と書かれた石碑。


最近見かけるようになった太陽電池付きの信号機。お昼過ぎなのに太陽がまったく当たっていない。どう考えても発電効率の悪い場所に置いてある。単に再生エネルギーへの啓蒙的な意味で置いているのだろうか?